このページでは、黒紫米の生みの親、生産者である大泊さんを紹介します。ここまでに至る大泊さんの苦労と熱意をみなさまにお伝えしたいと思います。
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氏 名 大泊 力朗(おおどまり りきろう)
出 身 沖縄県石垣市
所 在 地
沖縄県石垣市
生年月日 昭和23年7月 56歳
家族構成 奥さん・子どもさん含め5人家族
農 業 歴
18年
生産品目 石垣産ひとめぼれ・うるち米・もち米・黒紫米
栽培方法 農薬を一切使用しない有機栽培
※大泊さんのコメントはすべて標準語で記載しています。
黒紫米を作り始めた理由
平成16年5月一期作の黒紫米の買い付けで、夕方、大泊さん宅で奥さんの手作りである石垣の家庭料理に舌鼓を打ちながら、泡盛を前に、大泊さんの黒紫米の生産に至るまでのお話を聞かせていただいた。
彼の目は黒紫米との出会いの衝撃と感動の記憶を辿りながら、少年のような笑顔で私に語ってくれた。
約10年前、西表島の友人に黒紫米を紹介され、その黒の中に紫が混ざる米の輝きに感動を覚えたという。「人は紫の色を高貴な色と感じる。天皇陛下の国会召集の詔書・国会解散の詔書を包む布、贈り物を包む布やお坊さんの袈裟がそうだ」と大泊さんは、色の重要度から話を始めた。「これは、紫色は人の体に好影響を与えるに違いないと思った。ワインもそうだ。人の体に良いという食べ物は黒と紫が混合している」
学説ではなく乱暴かもしれないが、直感から導き出される持論は妙に説得力がある。
友人から苗をもらい、田んぼで植えたがなかなかうまく育ってくれない。黒米は原種にいちばん近い米と言われ、生育しやすいと言うが、なかなかそうでもなかったらしい。台風にも弱く、近くの白米を色づけしてしまう。白米に色がつくことを嫌い黒米を作らないという農家は少なくない。また、ご本人の徹底したこだわりでもある農薬を一切使用しない有機栽培の思想にも害虫が立ちはだかる。多くの壁は容赦なく大泊さんに試練を与えた。
しかし、4〜5年の歳月をかけて自己変化を遂げていくと言われる黒紫米と同じように、大泊さんも自己変化を遂げていく。
ご本人の希望により、大泊さんの栽培方法を公開できないのが残念だが、なぜ?なぜ?なぜ?あきずに失敗を繰り返し、とうとう他の追随を許さないほどの黒の深みと輝きを出すことに成功した。この色こそが、ポリフェノールそのものである。ここまでくるのに実に8年の歳月が流れていた。
当初は、家族で食べられる程度の10a〜20a程度を生産していたが、これだけおいしく健康的な米を多くの人に紹介したいと、現在一期10tを生産している。
「人は土から育つ物を食べて健康を維持すべきだ」この言葉は彼の哲学でもある。この哲学とマッチするように黒紫米は人を健康にできる米であることが、今回の栄養成分調査で立証されたわけだ。余談だが、高齢化が進み、人は健康というものがあって長生きにも生きがいを感じる。現代の食生活だけで健康を維持していくのは難しいと誰もが感じている。その裏づけか健康食品ブームでもあることは疑いの余地はない。しかし、サプリメントの前に必要なことは、食を通じて血液をきれいにすることであると言われる。
大泊さんは言う「他の黒米には色つやも栄養も負けない」幾多の壁を乗り越えた人の自信と誇りの現れだ。
奥さんの手料理と泡盛が時間を忘れさせてくれた頃、私は大泊さんにこんな質問を投げかけてみた「これからも僕は、多くの人の健康を願い、大泊さんの黒紫米を紹介していきたいです。ですが、今後、もっと高齢になられたらどうなさいますか?」少々先の質問になってしまったと後悔したが、これだけの素晴らしい食品は孫の代まで残していきたいとの想いもあった。
大泊さんは「息子の意思に任せている。親といえども強制はできない。彼の人生だから。」最高の黒紫米を育てた人は、人間を育てることにも哲学があった。
「じゃ、もし息子さんが大泊さんの後を継がないという意思だったら、黒紫米はどうなりますか?」この質問に、考える時間など必要ないというタイミングで「仲間がいます。いろんな世代の仲間に私はこの製法を伝えています。私が動けなくなっても、その人たちが作ってくれます。」素晴らしいの一言だった。
石垣には「スクマ」という言葉がある。「豊作を祈る」という意味である。先祖に感謝しながら豊作を祈るのである。契約の後、大泊さんは、仏壇に契約書を置き、静かに祈っていた。それを見て私は「この黒紫米を多くの人に紹介し末永く大泊さんご家族とお付き合いしたい」と純粋にそう感じた。
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